2009/11/28

アーカイブとしての写真を大量に公開することへの抵抗感を持ちつつ、思い切って掲載させていただきました

Slideshowが再生されるガジェットを追加しました。

僕がフィルムで撮った写真、お世話になってる方、僕の友人、愛犬、周囲の方々を掲載しております。


みなさんに公開許可をとっているわけではありませんし、顔写真が多く含まれていますので、自分の顔を不特定多数が閲覧可能なネット上に公開されることに不快感を覚える方は僕に申し出てください。

迅速に削除させていただきますので。

ちょっと実験的にやってみたいので、以上のことよろしくお願い致します。

2009/11/22

「文句ばっかり言ってないで早くやりなさい」「はい、やります」状態

『意志と表象としての世界』アルトゥル・ショーペンハウアー著
西尾幹二訳 中央公論新社-中公クラシックス

この書物に書かれていることの概要を追っていくことを卒論のテーマにしたわけだけども・・・

読み終わるのか?きちんと読めるのか?
とにかく不安であります。

『意志と表象としての世界』では、大別して「認識論」「自然哲学」「芸術哲学」「倫理学」について論が展開されている。
そのどれもが複雑な論理の展開と理解が困難な語句を用いて書かれているわけでは決してない。

でもね、
わかりづらいところがたくさんあってテンテコマイなんですよ。

具体的な例として、カントが言うところの悟性・理性・感性とショーペンハウアーが言うところのそれは全く意味が違う。

哲学において、論の前提となる語句の意味を知っていなければならないのは当然のことであるけれど、もともと日本語に翻訳した時点で言葉の意味に違いが出てくるのに、こうも哲学者によって用語の意味が異なるとさすがに読みづらい。

でも原文のドイツ語は読めないので日本語で読みますよ。
これから1ヶ月はこいつとの闘いになるなあ。

2009/11/20

嫌いな仕事はもちろん続かない、好きなことを仕事にできない、なら自分に向いてる仕事を

中途半端な音楽好きと、中途半端な写真好きと、中途半端な洋服好きと、中途半端な芸術好きと、中途半端な教養と、中途半端な性格と、
中途半端な人生観と、中途半端な好き嫌い。

激務が嫌で、残業が嫌で、接待が嫌で、営業が嫌で、スーツが嫌で、不当な怒られ方が嫌で、ペコペコするのが’嫌で、偉そうにされるのもするのも嫌で、上司と飲みに行くのが嫌で、一日中パソコンを目の前にしているのが嫌で、DJとハンドボールを続けられないのが嫌。

名誉はいらないし、大袈裟な給料もいらないし、背伸びしたプライドもいらないし、忙殺される日々もいらないし、嘘っぽい人間関係もいらないし、派手な生活もいらないし、お腹につく脂もいらない。

音楽聴いたり運動したり本を読む時間が欲しくて、生活できるくらいのお金は欲しくて、あらゆる知識をちょっとずつ欲しくて、友達との良い関係も欲しくて、あたたかい家庭も欲しいし、自分の人生にさっぱりとした感じが欲しい。

けど、社会から完全に孤立するような生き方もできない。


学生がなに生意気なこと言ってるんだと思うかもしれませんが本当に思うことなのです。
こんなわがままで、自分勝手で大人げない考えをもって就職活動をしてきた僕は、数々の企業から「いらない」と言われてきました。
そりゃ当然のことで、他にもっとやる気のある人間を採用するべきで、こんな現代社会に適応していない人間を採る必要性なんてどこにもないのです。

しかしそんな僕もついに内定をもらえました。
その会社のことを、上記したすべてを許容してくれる場所だなんて思っていませんが、自分のやりようでそれに近づけられる可能性が非常に高く、がぜんやる気が出ています。

僕と近しい人たちは「そんな会社行くな」とか「もっと安定した会社に行った方がいい」とか助言してくれますが、僕の足りない頭で残りの人生を考えると、そんなに悪くない選択なのではと思うんですよ。

1年後、5年後、10年後、それよりもっと先のこともどれもわからない状態ですが、時にビシッと時にふわふわと過ごしたい所存であります。

2009/11/19

他人の一週間を知って得をする人は誰もいない、いないけど書いちゃった

先週から今週にかけて、
土曜日は下北沢WEDGEで最後のイベント。その後東の家に泊まらせてもらって
日曜日は所沢にある大崎電気工業体育館でハンドボールの試合。
月曜日は企業の最終選考とハンドボールの練習。
火曜日はレジュメを作成し、授業で発表がありました。
水曜日はアルバイト。

で、今日なわけです。
好きなことと嫌いなことをパッツンパッツンに予定の中に組み込んで、実践するというのは良い意味でも悪い意味でも疲れますね。

こんな調子で果たして卒論が終わるのでしょうか。
甚だ疑問であります。

いや、終わらせないと卒業できないから頑張ります!


それから、最近枕が首に合っていないということに気付き新しい枕を購入予定。
テンピュール系は合わないので、懐かしのパイプ枕を買おうともくろんでおります。

以上、面白みに欠ける日記調の更新でした。

2009/11/12

強烈な思い出の忘却はあり得ないが、そればかりを思っては生きてゆけないのもまた事実

昨日サントリーホールに行ってきました。

会場へ向かうドキドキ感、赤絨毯、小さなスタンディングバー、品のある豪華な照明、プロフェッショナルの仕事、最高の奏者と期待を上回る素敵で荘厳な音楽、鳴り止まない拍手へのアンコール曲、余韻に浸かりながらのちょっぴり贅沢な食事、ゆっくりの帰り道。

どれをとってもキラキラとしていた日でした。

ただ、なにをしていてもどこかでちびたのことを考えてしまう。
しばらくこういう状態が続くと思いますが、もう少し明るい内容もここに載せたいと思っています。

段々ね、段々。

2009/11/10

11年間お疲れさま、そしてありがとう


ちびたが逝ってしまいました。

死に目に会えなかったのが残念でしたが、温かさの残るちびたに触れられてよかった。

愛犬の死は思った以上に悲しく、寂しく、いろいろなことを思い出すだけで泣けてきます。
でも、思い出すことがたくさんあるということは、それだけで喜ばしいことかもしれませんね。

うちは3匹犬がいますが、ちびたは長男なので大変だったと思うなあ。
妹と弟のことを噛んだことは一度もないし、いつも優しく守ってた。
とても大人びたお利口さんだった。
食いしん坊で意地っ張りで、なにより散歩が好きで友達付き合いもよかった、小さくて大きいかわいいちびたとも今日でお別れ。

とてもとても嫌だけれど本当にお別れ。

愛した者とお別れ。




今まで可愛がってくれた方々、どうもありがとうございました。


2009/11/07

自分より後に生まれた者の栄枯盛衰を見るのは時に嬉しく時に悲しい

このブログのトップページでいつもカッコいい姿を見せてくれる、うちの愛犬ちびた君が危ない。
11歳と1ヶ月だけど心臓の肥大化と高血圧で、いつ倒れてもおかしくないとお医者さんに言われました。

正直言ってこれまでの人生の中で最も愛した期間が長い相手です。
11年という時間は僕にとっては人生の1/6くらいにきこえるけれど、彼にとっては人生の9割以上を過ごした年月。

そこには色々な思い出がいっぱい詰まっているわけだけど、
僕としては後悔の方がはるかに多く、彼には謝っても謝っても足りない気がしています。

とにかく僕ら家族にとって初めて飼う犬だったし、育て方やしつけ方を何も知らなかった。
何がそうさせたかはわからないが、甘やかしてはいけないと思い、やけに厳しく育てたしとてもきつく叱ったりもした。

なぜそんなことをしたのだろう。

たった十数年しか生きられない者に対して、優しさよりも厳しさを優先すべき理由がどこにあったのか、僕は今でもわからない。

ただなんとなく、最初が肝心だとか思って厳しくしたんだ。
そんな、なんとなくで彼の人生を大きく変えてしまったことに対する自分の未熟さと頭の悪さに腹が立つ。

もっと優しく接して、おもいっきり甘えさせても良かったんじゃないか。

そしたら今頃、恐怖心からくる彼の無意味な興奮は少なく、もっと穏やかな生活を送っていたに違いない。
心臓もまだまだ健康に脈打っていたかもしれない。


今更こんなことを言っても仕方がないことは重々承知なのだが、やり直しがきかない物事に対する後悔と反省はこの先しばらく続くことは確かなことなのです。

2009/11/01

そして考えた結果を踏まえて行動するのが、人間らしい生き方

深呼吸の後は思考。

思考の後は行動。

行動の先は・・・

知らね。

知らないけど、やれることはやれるうちにやりたいところ。