先日、親族の中で一番僕と顔が似ている大叔母のお葬式に行きまして、俺も死ぬときはこんな感じなのかなあと想像してしまいました。
どうせ人間最後は、意識も記憶もぶっとんで骨になるんだから、生きてるうちは気分よくいたいもんですなあ。
ところで、葬式でよく使われる「御愁傷様でした」「ありがとうございます」という会話は無意味なものではなく、形式化された言葉としての意味がある。
死という非日常的な出来事に対して葬式という形式張った儀式を行う際のこの台詞は、遺族の意識を非日常から日常へと戻すための機能を担っているんだろう。
というのも、人が死んだからといって残りの一生ずーっと悲しみにくれてはいられない。
寝て、起きて、ごはん食べて、トイレ行って、髪型セットして、お化粧して、お出かけして、仕事して、飲み会行ったり、エッチしたりするわけだ。
そんな日常に戻してくれるのが葬式なのだと思う。
「御愁傷様でした」と言われれば頭を下げて「ありがとうございます」と答える。一見無意味だが、他人との挨拶という行動はごくごく日常的なもの。
葬式を終えれば、遺族だって一応落ち着く。悲しみは消えないかもしれないけど、日常生活に戻れる。
だから、葬式は死者へのものというよりは残された家族のためのものだと思うのです。
考え方は人それぞれだけど、僕はそんな風に考えています。うんこ。
2009/06/08
登録:
コメントの投稿 (Atom)
2 件のコメント:
知らないところで生きながらえていた血縁にも会えたしね。変な感じだったね。
若くして亡くなったとかそういう辛さがなくて、さっぱりとした良い式だったね。おつかれさんでした。
そうだね、さっぱりしてたね。
最近白いネクタイも黒いネクタイもする機会が増えてきたよ。
大人になるってこういうことなんだねえ。
コメントを投稿