2010/12/31

大晦日だけど仕事だぜ、なんだか変にテンション上がってきちゃうよ

みなさん、2011年のBBC Radio1の一発目はUnderWorldだよん。
楽しみですねえ。

さて、今年は大学卒業したり引っ越ししたり転職したり年末下痢したりで大変でした。でも忙しく社会人1年目を過ごせてよかったかな。ただ、クラブに行く回数が少なかった。僕自身は最低月に一度はプレイできたのでとても充実してたけど周りとの交流が足りなかった。もっとフットワーク軽く動き回ってもよかったような気がするし、たくさんの人に話しかけたりするべきだったのかも。働き始めるとなかなか深夜帯の活動がしんどくなってくるけど、めげずにもう少し色々な場所に顔を出せばよかったと思っています。

せっかく東京に住んでいるんだから自分で刺激的にしようと思えばいくらでも刺激的になるはずだし、イベントにもよるけど僕が好む音楽を聞いてる人達が集まるクラブには年齢の近い人達がたくさんいるわけで、話もそれなりに合うはずだしね。来年はその辺を意識して改善していきたいですな。

しかし今年は我ながらよく働いた。大学生の頃は労働意欲ゼロだった僕も今ではすっかり仕事割りと好き人間になりました。来年もこの調子で日々知識を増やしていくことを念頭においてバリバリ働くつもりです。

今日は仕事終わりに馴染みの友人達と年越しパーティーです。これで4年連続だからすっかり定例会になってしまった。みんな社会人なので少し余裕がある集まりになると思う。

話いろいろだけれど、なにはともあれ今年はこれでおしまい。

2010/12/29

ちょっと馬鹿みたいだけどたまには至極まともなこと言ってもいいですか

僕には尊敬できる先輩が何人かいる。
その人達は仕事の先輩とかではなく、成長期を熱く過ごしたハンドボールの先輩達である。見習うに値しない歳上の人間は多いが、彼らの様に後輩の意見に真剣に耳を傾け、ときに優しくときに厳しさをもって接してくれる人というのは実に少ない。

では今の自分はどうか。

全ての後輩達に対して優しく接することができているかといえば到底無理な話だか、慕ってくれる後輩達には優しく接することができていると思うし、良い関係が築けていると思う。僕は元来先輩気質ではないと自分自身思っていたが、後輩からどう見られているか意識するだけでそんな思い込みは一蹴できると気付けた。
これもひとえに、段々と歳を重ねるごとに自分が先輩と呼ばれる立場になったとき、今度は尊敬されるような先輩になるべきだと思わせてくれる先輩達がいたおかげでなのである。

いくら先輩後輩といっても人と人の繋がりによって成り立つ関係性である以上、やけに偉そうであったりやけに威張ってよいものではないのだ。尊敬されたいと思うより先に相手を認めるべきであるし、むしろこちらが尊敬するべきなのである。

このことはビジネスとは無関係の話なので勘違いしないでちょ。

2010/12/22

たぶんみんな知ってる事だし過去にも書いた事かもしれないけど確認のため

自殺できるのは人間だけ。
ならば人生の締めくくりを私にしかできないことで、とてもワガママなかたちで行いたいと思うことはとても素直な気持ちかもしれない。僕は今のところ自殺願望はないし、もしそうだとしたらこんなことは書かないと思う。
原則的に自分で自分の人生を閉じることは誰にも止めることは不可能であり、また、全員実行可能である。決定権は全て個人にある。他の動物とは異なり高度な知識と理性が存在する生命体であるからこそ、人間にしかできない究極の自己決定で自己を消滅させたいと望むことは一概に批判できることではない。まさか、ソクラテスみたいに魂の不死を証明できるわけでもないし、残念ながら死んだことのある人間はこの世に存在しないので死後の世界について知っている者は相も変わらず0人なのだ。

2010/12/15

仕事で機械ばかり触っているからオウチでは紙に触れたい、なんておもわなくなったらいよいよマズイ

朝起きて家を出る。

エレベータで挨拶をする僕はマンションの住人を演じ、電車の中では希薄な個を演じ、会社では爽やかな若い新人を演じ、家族と過ごすときには次男を演じ、友人と過ごす時は友人を演じる。こうして社会の中で役割を分け行動している。
では部屋に一人でいるときはどうだろう。
そこではまた私というなにものかを演じているのかもしれない。

不可解で捉えられそうで捉えられない、掴めそうで掴めない私。
個の発見と個への疑惑。
私の中に私がいるような感覚。

ああ、『私の個人主義』(夏目漱石)を読もう。

2010/12/13

雨が降った後凍てつく寒さの中でも干さなければいけないものはいつも洗濯物

昨日ノルウェイの森をみた。

ついこの間まで4年間慣れ親しんだ階段や通路、教室や校舎が幾度も登場する違和感がとても心地良かった。市川隼監督の「トニー滝谷」くらいとても静かな映画で大げさな部分が少なく文学的だった。つまり僕の大好きな種類の映画だということですね。
世界が絶賛とか、うんちゃら国際映画祭に出品だとか、映像化不可能と言われていたとか、そういうことは抜きにして、とても複雑でとても素直で不器用な人間らしいところがすごく心に沁みる。


「どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことはできないのだ。どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。我々はその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては 何の役にも立たないのだ。」

2010/12/06

カップラーメンつくるときに使うのは砂時計

自分が言ったことに言い訳をしない。

理由がわからないことはわからない。
自分でも不思議なくらいわからないのです。

理解不能
理解不能


理解・・不能・・・