2009/07/30

後輩に佐藤というありきたりな苗字のすごい奴がいまして

すごい人っていっぱいいる。

知り合いの中では少ないけど。

彼はすごいと思える。
僕のスキルの少なさや非力さを再確認させてくれる彼。
自分が持っていないものを確実に持っている彼。
羨望というものをはっきり理解させてくれる彼。

先輩だからすごいというのは明らかに間違いだ。
先輩を超える人間はたくさんいる。
年上だから偉いというのは間違いだ。
年功序列にメリットがあるのはよくわかるが、
若くても立派な人間はたくさんいる。

ホント、年下に超えられるのは悔しいし嫌だ。
でもちょっと嬉しい。
俺だって超えてやるよって思えるからね。
待ってろ!!

というわけで、今年の夏は近くの市民体育館で筋トレすることを決めました。
大学4年の夏、筋トレに捧げるのはバカでしょうか?

2009/07/25

ゲームの裏技みたいって言われるけど、そんなに長い入力しないよ

最近よくやること。

Mac OS X のキーボードショートカット

Cmd+W   「ウインドウ・タブを閉じる」
Cmd+Q   「ソフトの終了」
Cmd+T   「新規タブ」
Cmd+C   「コピー」
Cmd+V   「貼付け」
Cmd+E   「取り出し」
Cmd+space 「文字入力切り替え」
Cmd+click  「リンクを新規タブで開く」
Cmd+Shift+3「全画面を撮影」
Ctl+tab   「タブ切り替え」
Opt+X    「カタカナ変換」
fn+del    「Windowsでいうとこのdelete」

ノートPCを使うようになってから、ショートカットを覚えて使っています。
マウスを使うより数段早く操作できるような気がする。

まだまだ使えそうなのがありますが、今のところこの程度で間に合ってます。
オススメのショートカットがあったら教えてくださいな。

2009/07/06

改行多いと見づらいって昔兄ちゃんに言われたな

小学校を転校するとき、友達はできないと思ってた。
小学校を卒業するとき、友達とは中学でも仲良くすると思ってた。

中学校に入学するとき、友達はこれ以上増えないと思ってた。
中学校を卒業するとき、友達とは高校でも仲良くすると思ってた。

高校に入学するとき、友達はこれ以上増えないと思ってた。
高校を卒業するとき、友達とは大学でも仲良くすると思ってた。

大学に入学するとき、友達はこれ以上増えないと思ってた。
そして今、親しい友達とは一生付き合っていくもんだと思ってる。

果たしてどうなるか。
こればっかりはわからないね。

できれば仲良しでいたいけど、各々進む道が違えば行く先も違うだろうし住む場所も違うだろうからね。
楽しみでもあり、寂しくもあり、複雑。

女の子みたいなこと言っちゃったなこりゃ。

2009/07/05

心までピカピカって言えたらSo Good

もう昨日のことだけど、

ここ最近のお天気でうちの洗濯物がたまりにたまっていたので
コインランドリーでお洗濯。

ここ最近のお天気でお風呂場にカビが生えたので
カビハイターでカビ退治。

ここ最近のお天気で畳にダニがいるようだったので
ダニアースでダニ退治。

たまらず降参したであろうダニを掃除機で吸うついでに
家中を掃除機。

ここ最近のお天気でかどうかはわからないけど
トイレの便器にカビが生えていたので
カビハイターでカビ退治。

〆にKuumbaのSweetRainを焚きました。


もう家中ピカピカ!!いいにおい!!

というわけで、一日中おうちをキレイにしていた僕なのでした。

2009/07/03

恋愛の不可能性についてのちょっとした考察

今読みたい本
大澤真幸著
『性愛と資本主義』    青土社
『恋愛の不可能性について』春秋社

ジュンク堂行きたいです。

『恋愛の不可能性について』を授業で少し読んだので、さらに読みたくなりました。


授業でやったことを少し紹介。

ここで言う恋愛の不可能性とは、誰かが誰かを好きになることや、他者と愛し合うことが不可能であるということではないのです。ほとんどの人間は恋愛をするし、誰かと愛し合うという経験をするものだと思う。


ではなにが不可能なのか。
それは、愛の唯一性を証明すること、つまり「あなたは私を本当に愛しているのか?」という質問に答えることが不可能なのである。

『恋愛の不可能性について』第一章〜愛の不安〜から抜粋
 ーサンドラとウォルターは、一緒に暮らしている。ウォルターは、サンドラのことを愛していると言っているし、愛にふさわしい行動も示している。しかし、にもかかわらず、サンドラは不安をもち、ウォルターに問う、「あなたは私を本当に愛しているのか?」と。
 ーサンドラは、何を懐疑しているのか?ウォルターが、サンドラの美点(性質)を記述し、それに対する彼の評価を表明することによって、言わば「愛する理由」を列挙したとしても、サンドラは決して満足しない。たとえば、サンドラが美しいこと、サンドラが聡明であること、こういったことをウォルターがいくら強調しても、サンドラは満足しないだろうし、それどころか 怒ってしまうかもしれない。
 サンドラが問うているのは、ウォルターにとってサンドラが唯一的であるか、ということだ。すなわち、ウォルターにとってサンドラが他によって代替不可能で、かけがえのない者であるか、ということである。たとえば、サンドラの美しさという理由は、この問いに対しては、まったく的はずれである。というのも、「美しい人」という一般的なカテゴリーの中で、サンドラは決して唯一的・単一的なものとしては現れないからである。実際、スージーだって、キャロルだって美しい。
 ー愛の対象としてのサンドラの唯一性が確認されるためには、反事実的な仮定が必要となる。たとえば、スージーだったら、あるいはキャロルだったら、私が愛する対象となりうるだろうか、と。このような代替の可能性が排除されるとき、愛の唯一性が示される。しかし、代替についての仮定は、他なる選択肢を、現実には排除されるとはいえ、可能性としてはありえたものとして、確保することを要請するだろう。つまり、愛の代替性についての仮定は、(ウォルターの)愛の対象が異なったものである「可能世界」を主題化しているかのように見える。しかし、もしそのような可能性(可能世界)が、積極的に主題化されうるのだとするならば、愛の対象は、真正な意味では、単一的ではありえまい。単一性とは、個体の同一性が(この場合はウォルターの愛の対象がサンドラであるということが)必然的で、他でありえないということだからだ。それゆえ、愛の対象を唯一的なものとして示そうとすれば、必然的な同一性が破られてしまうように見える。必然的な同一性とは、ある事物のそれ自身との同一性(A=A)に匹敵する同一性である。
 ー愛の不安に対応したこのような事態の奇妙さを分析するためには、固有名のあり方についての一定の洞察が要求される。


・・・うーん
・・・なかなか難しい。

代替不可能性を証明しようとすると、代替を考えている時点で比較対象であることを指してしまうためトートロジーに陥り、単一性が失われる。
かといって、「美しさ」や「聡明さ」はそれを計るバロメーターがない上に、相対評価なので代替可能。
代替不可能性を証明しようとすると代替可能なことを証明してしまうし、単一性を証明しようとすると複数性を示してしまう。
このパラドックスを克服できない。

唯一いえるとしたら、私があなたを愛しているのは私が私だからだとなるだろう。
それは、私の辞書の中で「サンドラ」を引くと「愛」と出てきて、「愛」と引くと「サンドラ」と出てくるからであることを言いたいのだが、これは他者には伝わらない。あくまで自分の中の話だし、今の私が私でなくなったら愛せないということにもなる。

まあ、屁理屈に聞こえるかもしれないけど当たってるかもしれない。

じゃあ、結婚は?と言いたくなるだろうが、キリスト教において結婚はすべて契約結婚。
結婚は契約なのだ。第三者との、神との。

日本でも結婚の根底にあるのは契約である。
結婚は契約において可能。
愛は不可能。



最後に、
筆者が言いたいことは、固有名的な単一性において愛は成立するが故に愛は成立しない。
=愛の不可能性ということらしい。
どういう意味なのかは各々考えてみてくださいな。

決意表明って柄じゃないけども

いやあ、さぼったさぼった。

でもいろいろあった。

そんでいろいろ決めたことがある。

一、二度とお店の針は使わない信用しない

一、イベント前はもっとレコードに触る

一、音楽センスを引き上げる

一、卒論に向けて勉強する

一、下を向いて喋らないよう気をつける

以上 頑張る所存であります。