2011/03/26

美味しいお酒と、美味しい肴があるのであれば、あとはなんでもいいと思えていたらそれはそれで幸福だ

意識から無意識への移動を求めている。

あまりに現実すぎる世界から、つまり明確に認識できすぎる意識から遠ざかりたいと考えている。
頼りたいものを選択し意識から無意識へ、秩序から無秩序へ。自覚から無自覚へ。楽な方向、許容される範囲の広い世界、不適当で、曖昧で、仕方がない領域へ逃げる。逃げたがる。こんなこともたまにはいいのではないかと考える。

ああ、酔っぱらってる。

2011/03/23

あの卒論を見直したらなにかいいことあるかな、丸野先生のつまらないギリシャ哲学講義がききたい

生が楽しい。
が、もっと暗く辛くなるようなことに思考を傾けたい。考えても仕方がないような、まるで無意味なことに頭を使いたい。時、死、悪、不条理、絶望などに目を向けたい。哲学書を読み考えを深めたい。大学時代には日常であった書物から離れ、日々の多忙さを言い訳に馬鹿になっていくことだけは避けたい。

はっきりいって僕にとってビジネスなんてどうでもいいことなのだ。個について、私について、他者について、存在について知りたい。どうしてもいつまでも不可解な対象になにかを見い出したい。

そんなことを思わせる雨でした。

2011/03/22

流行りは一周し少しだけ形を変えて繰り返すものなのかもしれない

個人レベルで今回の地震に関しては何一つ被害がないので敢えてそのことについては書かないこととします。

さて、近頃週2〜4の30分自宅筋トレのおかげで体が調子いい。水々しさはないが鍛えている箇所は以前より盛りあがり肥大している。しかし局所的な負荷だけでは肉体が満足しない。やはり息が切れる全身運動と大きな声を出すこと、それに勝負事であることで頭の切り替えやストレス発散ができるのだろう。
というわけで、今日の休みを利用して地元の友人とキャッチボール、卓球、ボーリングをやりました。運動不足解消とまではいかないけれど程好い肉体疲労が心地いい。運動後は兄の家で甥っ子と遊び、久々にレコードのみで1時間DJをした。

社会人になると時間がなく好きなことができなくなると聞いていたが、現在の僕は以前より集中して時間を使うようになった分満足度が高く充実感に溢れることができている。おそらくもう少し歳をとり柵が増えてくるとそうもいかないんだろうけど、それはそのとき考えることにする。

2011/03/02

二面性の一面しか考えられないのは賢くない証拠なのであります

お金持ちの家に生んであげなくてごめんねと冗談混じりに両親から言われたことが何回もある。でも僕は本心から裕福すぎる家庭に生まれなくてよかったと思っている。

度が過ぎる金銭的・物質的裕福さは人を怠け者にし、自己の身辺に対する細やかさを不足させ自身に対する規律も曖昧にする。物欲が満たされたか満たされないかわからないうちに次の物欲が湧いてくることが想像に難くない。これはあくまで経験上の話だし、裕福な家庭に生まれ育った人間でもしっかりとした者がいるかもしれない。そういった種類の人間に未だ会ったことがないが、目の前に存在したら尊敬の念すら抱くだろう。逆も然りでこれまた過度な貧乏さは人を卑屈にし精神を疲弊させる。中には立派な人もいるだろう。

話が逸れたけど、ある程度の貧乏さは人を強くすると思っているのです。叶えたいことがある場合、お金も人脈もないところからスタートしひたすら努力をしなければならない。また、嫌なことでもそれを乗り越えなければいけない場面が多くあることでタフさが身に付くからそう思う。

同時にある程度の裕福さもまた必要だと思う。理由はちょっとわかんないです。
今日はもうここまでです。