2012/11/30

なかなか痩せられなくてと半笑いで言ってる奴は明らかに努力不足

議論している暇なんてないと一蹴されてしまえばそれまでだ。
一蹴するのは簡単で、いつだって他人の言うことに耳を傾けるなんてことは難しいに決まっている。 

自分の意見を言う場面と他人の意見を聞く場面。
妥協し正しいことを示せないことへの我慢。
断続的であたかも正しそうで、善さそうな判断。
おそらく20歳くらいまでであろう1日の貴重性。

気付くことは貧弱な内容で、目新しい感動は年に数えるほど。
絶望とも退廃とも言えぬ慣れた日々は僕になにをもたらすのでしょうか。 

悩みどころ。悩みどころだ。

2012/11/10

早いのか遅いのか、長いのか短いのかわからない

ちびた君がいなくなってから早3年が経ちました。

この間いろいろな記憶が消えていきましたが、彼を散歩し・撫で・戯れあった日々は忘れがたく、どうしても昔の日々を懐古してしまいます。
そしていつかまた会いたいなあと物悲しい気持ちになるのです。 

最近考えても答えが出ないのに、「人の寿命が長すぎるのか」「犬の寿命が短すぎるのか」と考えてしまいます。 人間よりも純粋な動物は多いのに、人間より長生きな動物は少ない。純粋さは長続きしないものなんでしょうか。 

さて、また新しい1年が始まるけど、ちびた君以外の2匹はまだまだ元気に生活しているので、頻繁に会いに行こうと思います。

2012/09/27

家族とか友達の話じゃなくて、もっと重要度の低い存在たちのハナシ

毎日会ってるのに急にいなくなっても一向に気にならない

それなのに人付き合いだの愛想だのばかばかしい。
それなのに同じ目標だのルールだのやかましい。

その人の家族のことも友人のことも生い立ちも知らない
名前の由来も知らないし住んでる場所も知らない

知ったことか

ならば大事にするべき存在などでは決してあり得ないのです。
職場ってなんだろうね。

2012/09/22

本当は、本当は、ってそれいつやるんだよ

仕事からの帰り道、同僚から言われたこと。

「○○さんは
いい大学出で、昇進して、人からも慕われて、音楽知ってて、運動もできて、彼女もいる。悩むことなんてなさそうで羨ましいです。」

これを聞いた僕は一瞬思ったんだ。
[そんなつまらそうな人は誰?]

26歳にしてようやく、この修正資本主義の国で『うまくやっていく』ためにはひどくつまらないことに人生の時間を浪費する必要があることがみえてきた。
正確に言うと、浪費する必要があると錯覚しなければならないということがみえてきた。

今の僕は人生を大きく踏み誤った自覚が希薄なくせに、充足した時間が少ないことへの不満が大きくなる一方な状態である。

本当は魂や主観、存在などについて学びたい。
本当は夕方に犬の遠吠えを聞きながら読書したい。
本当はもっと創造したい。


なにはともあれ、もうすぐ神無月。
出雲大社に用はない。

2012/08/17

いつだってなんだってやってやるって


そう思ってここまでやってきたんだ。

 実力が足りなくたって、先にやるって言ってしまえばあとは楽。
「宣言」という行為は僕にとってとても重要で、人生の中で力を発揮する。後戻りできない状況を自分に課すことは克己心を生むのだ。

 さて、始動しよう。

2012/01/07

明けた実感があろうがなかろうが明けました

明けましたね。明けたものは明けたのでガツガツやれることに取り掛かりたい睦月なのであります。

さて、いきなりですが僕はスーパーナチュラルなことへの関心がとても希薄な人間です。
占い・風水・手相なんかは特に信じたくないたちです。多少縁起の良いものにはその都度感心を示すが、それはあくまで自分の未来への積極さを明白にするような行いであり、未来の自分への補助などとは考えていない。

占いの類は他者から自己の未来を啓示、指示されているようなので嫌いだ。自身でも全く不明な未来を初めて会ったり顔も知らない相手にとやかく言われる筋合いはこれっぽっちもないし、大きなお世話なのである。確かに将来への不安が募る時期は誰しもあると思う。他者から助言をしてもらい少しでも不安を取り除きたい気持ちはわかるが、この先占い通りになったとしてどうだというのだ。運勢なるものに重きをおいて本当に充実した人生など過ごせるのだろうか。

否、先天的な事象への受け入れを終えたら後天的な選択は己で判断し決断していくべきなのである。

とまあ、僕はそう思うのです。
今年も自分の人生は自分で切り開きますよ!!って宣言したかったのでした。