2010/04/26

3D映画観るときにかける眼鏡、あれのせいで画面が暗くて色合い的なものが薄れているような気が

小学生の時「本当の友達は嫌なことでも直接言ってくれて本気で怒ってくれる奴だ」みたいなことを先生から言われたことがあるけれど、その先生の周りにはそんな人がいたのだろうか。そんなことはどうでもいいけど、今の僕にはそういった存在が確実にいる。

無駄だと思えても一つの事柄に対して熱心に話すし、お互いの意見を批判し合える友人がいる。
もちろん同調も大事だけど同調だけじゃ話が面白みに欠けるし、他者間なんだから批判がない方がおかしい。
違う固有名詞を持ち、違う肉体と考え方を持つ者同士批判点があって当然だ。

しかし、そこには『勝負』という概念はなるべく取り払われるべきだと思う。
勝敗を決めるような議論はそこに暴力性が介在し、相手を論破しようという気概が強まり、どうしてもまともな思考回路を持続することが難しくなるからだ。
熱くなることは一向に構わないが、熱さの中に冷静さが要求されるべきである。
冷静且つ白熱した議論ほど面白いものはない。そんな素敵な会話が僕は大好きだし、真剣に相手の話に耳を傾けたいと思う。

このことは、例えば二者間においては一方が意識するだけでは足りず、両者とも意識するべき事柄であり、また、そうすることで円滑で実りの多い議論になることは間違いないだろう。
それは議論の内容のレベルが低かろうと高かろうと変わらないことだと思うのです。

ま、こんなこと書いておいて実際僕ができているのかというと甚だ疑問ではあるのですがね。

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