『意志と表象としての世界』アルトゥル・ショーペンハウアー著
西尾幹二訳 中央公論新社-中公クラシックス
この書物に書かれていることの概要を追っていくことを卒論のテーマにしたわけだけども・・・
読み終わるのか?きちんと読めるのか?
とにかく不安であります。
『意志と表象としての世界』では、大別して「認識論」「自然哲学」「芸術哲学」「倫理学」について論が展開されている。
そのどれもが複雑な論理の展開と理解が困難な語句を用いて書かれているわけでは決してない。
でもね、
わかりづらいところがたくさんあってテンテコマイなんですよ。
具体的な例として、カントが言うところの悟性・理性・感性とショーペンハウアーが言うところのそれは全く意味が違う。
哲学において、論の前提となる語句の意味を知っていなければならないのは当然のことであるけれど、もともと日本語に翻訳した時点で言葉の意味に違いが出てくるのに、こうも哲学者によって用語の意味が異なるとさすがに読みづらい。
でも原文のドイツ語は読めないので日本語で読みますよ。
これから1ヶ月はこいつとの闘いになるなあ。
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