2009/09/29

ここまで好みが細分化している時代に〜が好きだと言われても話が合わないことって多いよね

『カンガルー日和』        講談社文庫
『国境の南、太陽の西』      講談社文庫
『螢・納屋を焼く・その他の短編』 新潮文庫
『東京奇譚集』          新潮文庫
『レキシントンの幽霊』      文春文庫
『スプートニクの恋人』      講談社文庫  すべて村上春樹
ここ2週間強で読了

感想に関しては僕なんかより鋭い洞察力を持った人間が行うべきだと思うので割愛。

久々に小説を読んだ気がする。
だって、
大学1年:積極的に小説を読む
大学2年:バカ丸出しで遊びほうける
大学3年:哲学書中心の日々
大学4年:前期は思い出せない
だからね。
そして4年の後期、さすがにヤバいと思い読み始めたけど今更村上春樹と思われるかもしれない。
でもいいのですよ。読まないよりは格段にいいのですよ。

今は『「自分」と「他人」をどうみるか』滝浦静雄著 NHKブックス
を読み途中。


さて、話は変わって久々の授業の感触を少し。

僕の通っている大学、特に僕が所属している文学部という場所では学生にはみな物事を難しく考えてこそ大学生だろうという気概がある。もしくはそういった雰囲気があるのだ。それは良いことでもあり、時として良くないこともある。

それは少人数の教室での出来事。

一人一人簡単な自己紹介をさせられ、とある女の子が
「私は映画が好きです」と言った。

ここでどう思うかが問題だ。

おそらくだが一般的に「映画が好きだ」と発言する場合、何が好きでも構わないのだ。
ハリーポッターが好きだって、スパイダーマンが好きだって構わない。

しかし、その授業を受けていた学生は様々な知識を持っている人間が多かったのだろう、あるいは映画に詳しい者が多かったのかもしれない。

「どんな映画が好きですか」と先生が質問した。
「ハリウッド映画が好きです」と彼女は答えた。
「ああそうですかあ」と先生はがっかりした様子。
少し間をあけて
「池袋の新文芸座とか早稲田松竹などには行きますか」と質問した。
「いいえ、映画館より家でDVDを観ます」と彼女は申し訳なさそうに答えた。

そのやり取りを聞いていた学生たちは嘲笑的な笑みを浮かべていた。
おそらく、僕もだ。

でも帰りの電車の中で考えてみたら、誰が何を好もうがいいじゃないかと思えてきた。

嘲笑的な雰囲気を作り出してしまったのはきっと、ハリウッド映画という単語のせいだろう。
その一言で、大衆的なものへの、商業的なものへの批判精神のようなものが彼女の話を聴いていた学生たちから出現してしまったのだろうと思う。

彼女がゴダールや小津安二郎の映画を観ていなくたっていいじゃないか。
確かに大学生ともなれば、いろいろなことへの知識を持つべきだし、広く物事を知っているべきだとは思う。
しかし、もしかしたら彼女はスティーヴン・スピルバーグやジョージ・ルーカスについて詳しく、鋭い見解を示せる人間かもしれない。
だから大衆映画が好きだってだけで馬鹿にするのはよろしくないと思うのですよ。

今日はそう思ったんでやんすよ。

2 件のコメント:

teru さんのコメント...

カテゴリがあまりに細分化されすぎてますよね。そこがまたいいんだけれど。

そんな僕は服が好きです。
なんてまた幅広なことを言ってみたり。

yubitsu さんのコメント...

>teru
狭義的な興味でも構わないと思うけど、広義的な興味も持ち合わせてると、他に服が好きって言っている人とも十分会話できるよね。