時間がこぼれ落ちていく感覚がよくわかる。
そこに留まっていることを許さないもの。
哲学的で、物理的で、空間のメタファーとしてではない、不可逆で捨象的で、カイロス的で、クロノス的な時間。
彼の時間。彼女の時間。僕の時間。
とにかく、そこにある時間。
たった23年間しか生きていなくても、この世に生まれてたくさん時間が流れたことは確かだ。
瞬間瞬間で最も新しく、新鮮で活動的なものを、鮮明で静寂なものを含んだはずだった時間。
いつもいつも、今が最新で現在を生きているような感覚と、実は過去しか生きてはいないのではないかという感覚を与える時間。
過去に縛られてるわけでもない、未来に展望を見いだせないわけでもない。
かといって後悔がないわけでもない。未来に期待していないわけでもない。
ただただ流れるこの時間が恐ろしいだけ。
昔仲がよかったあの人は今何をしているんだろう。今顔を合わせたらどんな気持ちになるんだろう。
昔とは違う時間の流れ方をしているのかな。
これから出会うその人は今何をしているんだろう。今顔を合わせてもただの知らない人。
今とは違う時間の流れ方をするのかな。
皆それぞれ過ごしている時間の中で、他者と触れ合ってる時間てなんだろう。
同じ空間で、同じ時間を、違う肉体と違う地点にいる人間同士顔を合わせて話してるってどういうことなんだろう。
それはとても気味の悪いことかもしれない。
それに加えて、全員死ぬまでの時間はわからないけど、死ぬのはわかってる。
時間がわからない。
僕は宗教家じゃないけど、みんな墓に行くまで時間を過ごす。
そのあとのことはまるでわからない。
ただまっすぐ。死を目指して時間を過ごす。時間がきたら時間はなくなるかもしれない。
あとは生きているときの時間の使い方を考えればいい?そうなのかあ。
うーん・・・そうなのかあ。
深く考えだすとキリがないことはわかってるけど、時間のことについて考えるとひどく恐ろしくなる。
時間を有効に使うってどういうこと?
時間を大切にってどういうこと?
時間がないってなに?
時間ってなに?
今日の経済のダイナミズムの中においてこんなことを考えることの無意味さを自覚しながら今日はこの辺で失礼します。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿