2009/12/09

「お菓子の家に住みたい」なんてとんでもないこと思いつく子供には、とんでもなくないものを

子供に学習机を買い与えることに価値を感じるかどうか、今日はふとそんなことを思いました。

僕が子供の頃は、自分の部屋に学習机があり、友達の部屋にも学習机があり、子供がいる家には必ず学習机があった。
近頃はどうか知らないが、おそらく10年15年前にはそれが当たり前の光景であり、子供が小学校に上がるときに学習机を購入してあげることが親の義務だというような考え方は常識でさえあったのではないだろうか。

しかし、今後自分が親になったとき、果たして子供に学習机を買い与えるだろうか。
答えは否。やけにデカい机と決められた本棚とライトの位置、ゴミのたまり場になってしまう引き出し。すでに区画整備された机のなんと面白くないことだろう。

別に本棚がいらないとかライトがいらないとか引き出しがいらないと言ってるのではなく、最初から必要なものが揃ってる空間よりも後から自分で何かを付け足したりできるほうがいいんじゃないかなって、そしたら使いやすさも増すだろうし、自分で手を加えたものならば愛着も増すかなあなんて思ったんですよ。

子供の教育に詳しいわけじゃないけど、僕が少年だった頃の記憶からすると学習机はとにかく退屈だった。使い勝手が悪いわけでもなかったし、小さいわけでもなかったが、机の上はただただ学校や塾でもらったテキストやプリントが山積みになっていったし、どれが大事なものでどれが不必要なものかの区別もつかない状態だった。

シンプルで、ちょっと不便な、工夫を凝らそうと思える机を使っていたら、僕はもう少し楽しく机に向かっていたかもしれない。
なにもかもを机のせいにするつもりは毛頭ないが、なんとなくそんなことを思ったのです。

これは個人の性格に因るところが大きいので、論としては弱いですが意見として書きたかっただけなので、悪しからず。

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