「人間は考える葦である」というパスカルの言葉がある。
その他にも「人間は〜である」という言い方はたくさんあるし、「人生とは〜である」という言い方もある。
それは人それぞれ違う言い方で表せることかもしれないし、人一人が複数の言い方を見つけることもまた可能だろう。
僕は最近、「人生とは状況判断の連続である」と思う。
これは今思っているだけで、今後変わってくるかもしれない意見だけど、今のところはそう感じてる。
寝てるとき以外は何をするにも状況判断が必要だと思うのです。
キーボード打ってるときだって、キーボードの配列状況の判断。車の運転だって、歩いているときだって、スポーツするのだって、他人と会話するときだってそう。
自分が置かれている状況、これから置かれるであろう状況、まわりの状況、自分の気持ちの状況、他者の状況、空間の状況、これらを意識的だろうが無意識だろうが判断して考えて実行する。または、実行しないという実行をする。
疲れていようが疲れてなかろうが必ず全員やっていること。
それが状況判断。
これがあるから、苦悩も生まれるし後悔だって生まれる。未来への展望や希望を持てるのも同じこと。
それこそ人間が人間である所以だとおもうのです。
動物は後悔しない。
状況判断はするだろうけど、現在の状況判断が未来の自分にどう影響するかは考えない。だから後悔も苦悩もないと思う。
もし考えていたなら、もっと頻繁に、もっと巧妙に人間に驚きをもたらすだろう。
人間が動物に驚きを感じる場合、そこにあたかも思慮があるように思うから驚くのだ。
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