のペーっとした顔が可愛らしいラブラドール・レトリーバーの女の子。
11歳か12歳だったかな。
幸福なことに最後は家族全員の前で看取られたそうです。
生き物はみんな死ぬけど、犬は早いな。
人間が長いのか。
わからないな。
とりあえず、今日は土間土間で年越しパーティーです!
行ってきます!
気がつけばもう今年も終わり。
いろいろありすぎて覚えていないことも多い。
そんなときのために写真やらブログがあり、それらのイメージや文字で記憶が蘇る。
みなさんはどんな一年でしたか?
僕は怠惰な日々が多かった気がします。
反省します。
昨日、下北沢WEDGEにて1年半ほど続けたイベント『polychrome』が終了しました。
今まで遊びに来てくれた方々、本当にありがとうございました。
学生時代に継続して都内のイベントにレギュラーで参加し、場数をふみ経験値を蓄えられたこと、成長できたことを幸せに思います。
友達と楽しいひと時を過ごせたことも、とてもいい思い出です。
今後何かイベント事を催すことがありましたら、どこでもDJしますので是非呼んでください。
僕も新たにイベントをやる場合には皆様に連絡しますので、その時はまた遊びに来てください。
本日、兄が結婚いたしました。
そんでもって結婚式に行ってまいりました!
新郎の弟兼カメラマンとして参加し 72枚も撮りましたが、1枚だけいい写真が撮れたので載っけます。
結婚式の定番のような2ショット写真ですが、これが一番上手に撮れました。
屋内より屋外のほうがよく撮れた。
頑張って慣れないストロボを使い撮影したのですが、失敗が多かったです。
まだまだ修行が足りません。
ま、なにはともあれメデタイ一日でした!!
昨日の自分を反省している。
ここ最近無味乾燥な生き方をしていた自分を反省している。
youtubeでアニメ「銀魂」を見まくってたなんて恥ずかしくて言えない。面白かったけど。
考え方を変えなきゃいかん。自分はまだ大学生だ。
自身を刺激しなければいけない。刺激しすぎということはないだろう。
本日購入の本
『働くことがイヤな人のための本』-中島義道 新潮文庫
『哲学の教科書』-中島義道 講談社学術文庫
『西洋哲学史 下巻』-シュヴェークラー 谷川徹三・松村一人訳 岩波文庫
幸い今日の月明かりは眩しい。
満月だ。
久々にツタヤでCD借りた。
Louis Armstrog/Whst A Wonderful World
Miles Davis/The Best Of Miles Davis
Weather Report/8:30
たまにはこういうの聞こうかなって。
つっといて、今日学校行くまで聞いてたのは
Dj Marky & XRS - Radio 1 essentialmix
ドラムンベースですね。
これは聞いたことある人も多いんではないでしょうか。
ところで俺は何を言いたいんだ。
誰か教えてください。
文末を?にするときまってコメント0な僕です。
いやあ、それにしても今日のDJは最高だった!
俺たち兄弟もくるとこまできたなって感じでした。
毎回そんな感じがしてるので、全然きてないのかもしれないけど。
とにかく今日は最高だった。
みなさんやったことある人はものすごく少ないからわからないだろうけど、パソコンとターンテーブルで同時にテンポのあった曲を流すというのは非常に難しいのです。
せっかくターンテーブルが4台あるのと同じ状態なのに、大体2曲までしか混ぜられない。
しかし今日は3曲同時Mix!!
気持ちよかったなあ。
あなたは最近息がぴったり合ったような瞬間ありましたか?
『20世紀少年』のケンジがなぜあんなにかっこいいのか?
それはきっと彼が自己実現に向けて、自分の意思・考えを他人が理解してくれなくても、周りが敵ばかりになろうとも信念を貫きそれを実行していく姿があまりに勇ましいからだろう。
それはニーチェが言うところの君主道徳に沿ったような生き方だ。
自分がうまくいかないことを環境や他人のせいにしていた奴隷道徳的な生き方から、すべて自分で決定し行動する君主道徳的な生き方へ。
生の力強さ!これがキーワードですな。
一見できそうだが、この生き方はとても難しい。
ニーチェ『善悪の彼岸』第260節「道徳的価値の区別は、一方で、支配される種族に対する差別を快感をもって意識する支配者の種族の間で生じ、他方で、被支配者、奴隷、あらゆる程度の従属者の間で成立した。前者の場合、〈よい(gut)〉という概念を規定する者が支配者たちである以上、魂の高められた誇らしい状態こそが優秀さと位階を決定するものと感じられる。高貴な人間は、この高められた状態とは反対のものが現れている者たちを、自分たちから切り離し、軽蔑する。
この第一の種類の道徳にあっては、〈よい(gut)〉と〈わるい(schlecht)〉との対立が〈高貴な〉と〈軽蔑すべき〉というほどの意味であることに、すぐに気づかれるだろう。
高貴な種類の人間は、自分が価値の決定者であると感じる。この種の人間は、他人から是認されることを必要としない。高貴な人間も、不幸な者を助けはする。だが、それは同情からではなく、むしろ力の充溢が生む一つの衝動からである。
・・・道徳の第二の類型である奴隷道徳にあっては、事情が異なる。・・・奴隷の眼差しは、強力な者たちの徳に対して敵意を抱く。奴隷は懐疑と不信をもち、そこで尊重されるすべての〈良きもの(gut)〉に対して鋭敏な不信を備えている。奴隷は、そこでの幸福さえも本物ではないと自らに納得させようとする。反対に、苦悩する者たちの生存を楽にしてやることに役立つような特性が引っぱり出され、それに光があてられる。ここでは同情が、親切な慈悲深い手が、温情が、忍耐が、勤勉が、謙遜が、友誼が、尊重される。なぜなら、これらのものは、生存の圧迫に耐えるためにもっとも有効な特性であり、ほとんど唯一の手段だからである。奴隷道徳は、本質的に功利の道徳である。ここに、〈善〉と〈悪〉というあの有名な対立を燃え上がらせる火元がある。」
9月に入ってからというもの、明らかに。
明らかに焦ってる。
何にって、将来に焦りを感じてる。
もうすぐ就活だ、就職だ、社会人だ、学生はおしまいだ。
学生のとき君は何をやっていたんだいと聞かれたらなんて答える?
自分は3年間なにしてたんだっけ?
勉強はあまりしていない。それなりにしたけどしてない方だろう。
あとはなんだ。
Djは頑張った。ハンドボールも頑張って続けてる。
ん?それくらいか?
うーん・・・それくらいかあ。
普通の人が経験しないようなことをたくさんしたつもりでいたけど、最近は自分のほうが人より経験・知識・行動力・判断力がないような気がしてしまうのです。
自分なりにわりと真剣に歩んできたつもりなのにこんなもんだよ。と思ってしまう。
それが本当にその通りなのか、ただのネガティブさの表れなのかはわからない。
わからない。
どこの大学か忘れたけど、キャッチコピーが「今からなら、なんにでもなれる」みたいな電車内の広告を見た。
僕も10代の頃はなんにでもなれて、なんでもできると思ってた。
だけどいつからか気付いたのです。
人生は有限で、できることとできないことがあると。
そして、やりたいことの多くは、それを一人前にできるようになるまでに大変なエネルギーと地味な努力が必要だということにも気付いた。
例えば、僕は22年間生きてきて自信をもって「できる」と言えることは数えるほどしかない。
ボーっと生きているわけでもないのにやれることが少ない。
努力が足りない。
人生50年の時代だったら半分まできてるわけで、自分の非力さを痛感するわけです。
今日は、自分がまだ高校生で勢いがあったときに聞いていたこれを聞いてました。
下品だけど、ちょっとかっこいいよね。
東西線の車内で「1973年のピンボール」を読んでいる、いかにも大学1年生らしき学生の姿を見た。
僕も大学入学したての頃は村上春樹を読みあさった。
それがとても心地良かったのを覚えている。
彼の作品を読むと心が落ち着き、胸騒ぎが起こり、重々しくも心が豊かになるのを感じた。
それが今は大学3年生となり、毎日youtubeばかり見ていて馬鹿丸出し状態です。
そんな僕も今日は教習所の入所式、1時間だけ運転もしてきました。
2週間以内に免許とってみせます!